徒然なるままに 

日常に感じたことを徒然なるままに書いてます

出会い

 

ある友人が

私との出会い、やり取りの中で

「心に正直に善悪ではなく 好き嫌いで選ぶこと。」

「最大限自分らしく」生きるということが何となくわかった気がすると

伝えてくれました。

 

そんな時 一期一会の素晴らしい出会いに感謝することが多々あります。

 

今、日本の中で「なんとなく生きている」人がどれだけいるかなって思います。

いい悪いではなく他人の目を気にして「きらわれたくない」とびくびく生きる。

大人も若者も子供たちまで。

 

幼い頃から 他国の中で生きてきた私は 人より「自分は何者だ」という

気持ちや感受性が人一倍強い子供でした。

今でも人の気持ちに共感しすぎてしんどい時は意識的に閉じちゃいます。

 

母や友人の闘病中 生きたくても生きられない、明日を向かえられないがん患者の皆さんをたくさん見てきました。

 

「生きる」ではなく「生かされている」そんな謙虚な気持ちで過ごせば

傍にいる人、いつもと見える景色、音楽など彩りよく見えると思う。

 

いつもそんなこと思わなくてもいいから朝日を浴びながら、寝る前 数分

月を見ながら今日を静かに振り返る。

そんなこと意識できたら きっと「何気ない日々」に

少しずつ変化が訪れるのかもしれませんね。

 

 

「あなたの中の最良なものを」

 

「あなたの中の最良のものを」 マザーテレサ

 

人は不合理、非論理的、利己的です。

きにすることなく 人を愛しなさい。

あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく 善をおこないなさい。

目的を達成しようとするとき 邪魔立てをする人に出会うでしょう。

気にすることなくやり遂げなさい。

 

善い行いをしてもおそらく次の日には忘れられるでしょう。

気にすることなくし続けなさい。

あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが壊されるでしょう。

気にすることなく作り続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与えなさい。

蹴り返されるかもしれません。

でも気にすることなく 最良のものを与え続けなさい。

 

 

この文章に何度助けられただろう。

何度読み返しただろう。

この言葉の奥にある深みの底にはすべてを受け入れた彼女の強さがあるのでしょう。

みんなつながりを求めています

誰かに必要とされる喜び。

自分の知識や経験が役に立つ喜び。

つながる喜び。

みんなつながりを求めているのに なんだか近づくのが怖い。

 

そうなのかな?すごく遠慮してくる。

 

そんなのいいのに・・

大人は若い人たちがいろいろ聞いて来たり お願いごとをされたり

夢を語ったりすることを望んでいるのだから。

それは きっと 自分が幼少期にできなかったことを彼らを通して

自分の若いころと投影するから。

 

彼らの夢を応援することは遠い昔 幼い自分が経済的に

できなかったことや 勇気がなくてできなかったことや、情報がなくて、出会いがなくてできなかったことを達成することになるのだから。

 

遠慮なく 躊躇なく 勇気出して一歩踏み出して近づけば

世界なんて案外簡単にかわるものだよ。

誰かの笑顔に会いたい

愛されるより愛するほうが好き。

与えられるより与えるほうが好き。

必要とするより必要とされるほうが好き。

 

ただ 愛は循環するからやっぱり 目の前の人にできるだけ愛情いっぱいで

いたい。占いでは 母なる大地っていわれましたが・・・

 

人が「自分の夢がかなうかも?できるかもっ」て枠を外す瞬間の笑顔が好きです。

変わる瞬間が好きです。

セミナーをして みんながワクワクわいわい 妄想と可能性と夢でワクワクする姿を見るのが好き。何気ない私の言葉で 目の前の人が自信を取り戻したり 元気になるのが好き。表情がパッと明るくなるのが好き。

 

そんな時 本当に 心から幸せって思います。

生きていてよかったって思います。

やっぱり好きじゃない

好きじゃない人から あなたを応援しますといわれた。

いつもその人のもののいい方が 「~してやる」という

無意識の威圧感が半端ない。

それを感じちゃうから 好きじゃないんだろうな。

 

最近 人の内側の気持ちがわかりすぎて 時々しんどい。

 

好き嫌いを感じることは決して悪くない感情だ。

 

すごく嫌いがわからないとすごく好きもわからないから♥

 

やっぱりすごく好き、なんとなく好きな人に囲まれていたい(笑)

積小為大

 

 

積小為大という言葉を知っていますか?

意味は「小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。小. 事をおろそかにしていて、大事をなすことはできない。」です。

 

母が亡くなった29歳の時 父に言われた言葉です。

実家は商売をしています。

毎日 祖父母が朝5時に起きて7時には店を開けて 何百円のものを売り買いしている姿を小さい頃から見ています。小学生のころから 冬休みはお店でお手伝いをしていました。高校生になると 学校の友人たちと実家の店でアルバイト。

 

お金を稼ぐということは お店に来た人から「おいしかったよ、ありがとう。また買うね。」というのをコツコツ続ける事だと知っています。

 

ありがとうの数=利益なのかもしれません。

 

最近は SNSの影響か 簡単にお金を稼ぐ術が世の中に 乱立していたり

今の生活レベルを落としたくないからと無理をしたり、

年相応の生活を送ることができなかったりする人が多いのではないかなと

少し気になります。若い頃は買ってでも苦労やいろんな経験したほうがいいのかもしれません。若いと体力も気力もあります。

 

何より人生何度でもやり直せる時間がたっぷりあります。

 

歳をとってお金も友人も、体力も気力もないのは悲しすぎますね。

何か大きなことができるぞ自分はと思う前に 目の前にある課題をコツコツ

やっていくと ふと振り返ると道になっています。

 

大きな夢をえがいても一足飛びには進めないのです。

まずは「身の丈」を知ること。自分にできることをすること。

 

小さなことからこつこつ始めていくと、きっと誰かが見ていてくれて

忘れた頃に応援してくれたりします。

 

世界一周したって有名なひとのセミナー聞いたってうすっぺらい人脈増やしたって

根本の生きる本質に気が付かないとあまり意味がないのかもしれません。

 

そんなことを忘れないでいてほしいなと思います。

私よりずっと大人でうわてでした

先日の続き

 

生徒会に立候補を何度もして いやじゃないのか、選ばれなくて恥ずかしくないのか

一度 娘に聴いてみた。

 

「ねえ、小学校の頃 いつも生徒会に立候補して 選ばれないけどまた立候補するでしょう?あれ どうしてまた立候補できるの。ママが小学生だったらそんな勇気なくてすぐにあきらめたり、落選して嫌だなあと思うけどそんな気持ちはないの?」と

思い切って質問した。

 

「全然恥ずかしくないし、かっこ悪くない。だって。私は本当に学校の事を考えて挨拶運動やいいことを公約しているのに いつも選ばれるのは その時 はやった一発ギャグをいったり面白いことを言う子が選ばれる。

それって全然学校の事考えてないから意味がない。

正義は勝つと思うから 立候補を何度もしただけ。」といわれました。

 

わが娘ながら その潔さと志の高さに勇気もらいました。

きっと この先も何度 転んでも起き上がる人になるんだろうな・・