徒然なるままに 

日常に感じたことを徒然なるままに書いてます

小さな手に にぎりしめたもの

 

 

幼いころに 握りしめた手のひらにある決意は

とっても意外なものだった。

それを知ったとき 愕然とした自分と 母と自分との関係や

今娘との関係、周りの人間関係に大きく影響していることに気が付いた。

 

それがいいとか悪いとかではなく そうだったのだと腑に落ちた感覚。

「今までの時間を返してほしい」とかわめくとか 騒ぐでもなく

そういう感情を何十年間も置き去りにして 感じないようにしてきた

自分をただただなぐさめ、ハグしたくなった。

 

そっか、そんな小さいころに 大人になるって決めたんだ。

与え続けることで母の愛に報おうと思ったんだね。

役割がある自分は愛される。役割がない自分には価値がない。

もう誰かのために生きる人生は終わりにしましょう。

 

さて自分のためにいきる、といっても2歳から人のために生きてくるのが喜びだと信じていたとしたら「自分の心からしたいことは何?ほしいものはなに?」と聞かれてもわからない。

今はぽっかり穴が開いたむなしさだけがある。

なにもしなくていい。ただ突っ立ているだけでいい感じを味わおう。

今は さみしいといえず ずっと置き去りにしてきた幼い小さな自分を

ただただ、癒してあげよう。

 

そして私が 安心で安全だと思う人たちとまず 自分の感じている気持ちを

共有させてもらおう。何も与えなくてもいいし、

感情を出しても危なくないよ。怖くないよっていう場所にまずは行きたい。

言葉の奥にあるもの

辛い時に 辛いっていうのは 普通で嫌だと思っていました。

辛くても それがあったから今があると思う人生にしたかった。

だから 明るくしていてそれに気が付ける人は その人も抱えているものがあるか

そんな経験があるかなのだと思います。 

生い立ちを含め そこには 小さなころに握りしめた歪んだ価値観があったということに気が付いたのは最近。

 

そっか、辛い時は辛いって言ってもいいんだなあ。

この人は 安心 心を開いても大丈夫という人は 沢山の人にかかわる割には少ない方かもしれません。

 

それでも心から信頼できる人を大切に そして誰かの

そういう人になれるようにこれからもしていこうと思います。

人は 大人でも子供でも

「自分をわかってもらいたい」「自分このままでいいんだ」と思いたい生き物です。

 

それをわかってもらえる人が一人でもいたら 頑張れるのです。勇気もらえるんです。

家族以外にも 沢山そんな居場所があったら 百人力。

 

初対面だろうが 年下だろうが 縁があれば誰かのそんな人になりたいと思います。

表面上の笑顔や行動言動だけでなく 言葉の奥にある

目の前の人の意図を感じられる人が人間的に深みがある人だと思います。

ふわふわ

最近 めまいがひどくふわふわします。

 

そんな時は疲れのバロメーター。

「無理してない?」

「がんばりすぎだよ」

「身体がNGだしてるよ」

そんな声が聞こえます。

 

傍から見るとわからないのが この不調の悲しさ。

なんだか いつも震度1,2のように地面がふわふわゆらゆらするのです。

 

そんな時は誰かの何気ない言葉に傷ついたり

できない自分を嘆いたりすべてが無駄に思えたり

寂しくなったり 心が忙しいです(笑)

 

随分 強くなったつもりでしたが 案外繊細なんだなあとおもいます。

身体は正直ですね。こんな時は ゆっくり 気心知れた友人と会ったり

土に触れたり 裸足で地面をあるいたり 温かいハーブテイーをのみます。

完璧主義なので ついつい頑張りすぎる癖があるようです。

 

いつもどんな自分にも〇をあげたいと思います。

手放す勇気

とっても大きなものを手放しました。

小さい頃から握りしめていた価値観。

誰もそれを握りなさいと言った記憶もなく

強要されたわけでもない・・

ただ子供ながらに祖父母・親の想いを感じとっていたと聞いたときは愕然としました。

 

「身代わりの人生をおりてもいい。」

「自分らしく生きてもいい」

「あなたは国を背負わなくてもいい」

 

そんなことを自分が思っていたなんておもいもしませんでした。

ただ 日本でも一二を争う有能なセラピストさんの質問に

頭で反応しなくても 身体が反応するのです。

心の奥の奥にあった小さな蓋があくと 水があふれだすように涙が

あふれて仕方なかったのです。

どうやら幼少期に決めた小さな自分の覚悟。

 

ただ 決して悪い価値観ではない。

だってあの握りしめた思いがあるから 

祖父母の苦労した背中を見ているから だから

どんなことも頑張れた自分がいるのだから。

ただ もう「誰かの役に立たなくてもいい」

「ここに住むのに罪悪感を感じながら人とつながらなくていい」

「愛と信頼で自分の好きな人とつながればいい」と許可を下ろしました。

 

あなたは自分のアイデンティをとても大切にしているんですねと

セラピストさんに言われてまだ涙がポロリ。

 

このタイミングで解放できてよかった。心からそうおもいます。

 

 

自分の人生は選んでいいことに気づく。

 

周りの目を気にして 上司や先輩の目を気にして

ママ友達の目を気にして 動けない人が多い。

 

根本は親の刷り込みなのだけど・・・

親の代わりに 形や人を変えて そのブロックを強化する。

 

その仮想世界を自分が作っていることに気が付かない限り

そこからでられない。永遠にその中で 「できない」自分を強化して生きる。

 

そんなのしんどいに決まってる。

ハムスターがゴールがない輪を永遠にくるくる回るのと同じ。

 

バーチャルから抜け出すには 違う世界があることに気が付くこと。

 

それって自分から動くか、探し求めるか、出会いしかない。

それも良質な出会い。

 

人は環境に9割影響されるから 居心地の良い理想的な環境があるということに

気が付いてそこに行けば 一気に変わる。

 

素直であればあるほど。

 

暗闇のトンネルに出口がないと思うのはしんどい。

人生ってこんなものだと思うのはしんどい。

すごく遠くても その先にかすかに光が見えて出口があるのだと

わかると頑張れる。

 

そんな環境を 変わらない変われない

世の中 いい人はいないと思っている

自分に縁がある人たちにさりげなく提供しいくことに

喜びを感じる今日この頃。

あったらいいなを作るのが好き。パイオニアですね。

気が付いているかな?

 

「すごいですね」「羨ましいです」という言葉を交わすことがある。

「あの人はすごい」「私と違ってうらやましい」

 

貴方はその人の何を知ってそんな軽々しく発言できるのかな?

 その人の過去やすべての経験や苦悩すべてひっくるめてそうなりたい、

すごいというのかな?もしかして表面の光の部分だけみて羨ましいのなら

あまりにも薄っぺらい称賛にならないかな?

そして 案外そんな言葉が何気にその人を傷つけていること 知っているかな?

 

それは(あなたと私は違う世界の人です)と感じる事だから。

 

(ああ、これ以上自分と深く友達になることはないんだ)という無意識のメッセージだということ。

 

先日 何度も「私に比べてあなたは〇〇だから羨ましい」といわれた。

それが嬉しいわけでもなく とても悲しかった。

そんなことないですよ、あなたはあなたのままで〇ですよといくら伝えても その人の心には響かない。受け取らないのだ。

なんだか とても傷ついて 後から涙があふれてしかたなかった。

 

無人島に行けばみんなただの人。肩書や地位や名誉なんて関係ない。

最初からそんなところで勝負してない。

 

以前「あなたの苦悩や差別や国籍の壁はわからないけど

わかりたいという気持ちがあるのです」

といわれて嬉しかったことがある。

わからなくてもわかろうとする気持ち、寄り添う気持ちが人の心を癒すのだと

その人から教えてもらった。

今まで誰かにわかってもらおうとする気持ちは幼い頃とっくの昔に放棄した

自分がいたけど信じて心を開いてみようと思った。

半面、こうして何気なく 傷つくことがある。怒りより深い悲しみ。

もちろん その人に悪気がないように きっと私も誰かをどこかで傷つけている。

 

以前 大企業の社長が 沢山の名刺交換の人波が嵐のように過ぎ去った頃

ぽつりと一人でいる姿を見た時「ああ、きっと大きなものを背負うほど孤独なのだ」と感じたことがある。傍から見たら立派な会社の経営者さんや著名人でもみんな

光輝く人は 大きな孤独を抱えながら生きいる姿を知っている。

それを本人が孤独かどうか苦悩かどうか感じるかどうかは別として・・・

その人の何気ない言葉の中に在る重みや深みを感じられるようになることが

人間力なんじゃないかな?

 

それは年齢とか肩書とか関係なく 感受性のセンスの問題。

それがわかる人には ふと心を開いて自分の気持ちを伝えてみようと思う。

カオスの中で自分らしく生きる覚悟

 

 

混沌とした時代、

高度成長期、バブルの頃のように頑張れば生活が豊かになる、そんな時代は

もうずいぶん前に終わりました。

今20代の皆さんは 生まれた時から 不景気でデフレの20年間が続いています。

物を消費する時代は終わり 今は車も家電も大量生産したからといって売れない時代。

それよりも心を大事に、想いを大事に、職人さんの作った過程を大事に、

そこに重きを置くニューエイジ。すごく素敵なことだし 素晴らしい感性なのだけど

どうやら世の中は まだ学歴社会だったり 安定志向、大企業・公務員主義だったり

親には「大学にはいけ」「安定した仕事につきなさい」といわれ

心で感じる事と現実とのギャップ。心がバラバラになる。

「自分はどう生きたらいいのだろう。」

「大人になりたくない」「社会に出たら会社の奴隷」「夢がない」

特に感受性の強い若者にそんなこと感じている人が多いのじゃないかな?

 

強いものが生き残るんじゃなく 変化に富んだものが生き残るというダーウィンの進化論のように 幅広い世代の人にあって新しい世界観に触れたらいいと思う。

 

ふり幅多く ぶれるからこそ 軸がさだまってくる

 

「みんな違ってみんないい。」

それを受け入れて進む勇気。

人は9割 周りの影響を受ける生き物。

素直で感受性の強いその世代へのヒントは少しだけ

先人たちの経験談が もしかしたら 勇気と力をくれるのかもしれない。

 

そして 大人は 違う世代だから、わかりあえないからという偏見を持たずに

寄り添い目線を同じにして 背中を押す役目があるのかもしれない。

 

私もOK,あなたもOK.

いろんな価値観を受け入れながら軸を持つ感覚が

これからは必要なのかもしれないですね。