徒然なるままに 

日常に感じたことを徒然なるままに書いてます

幸せのハードル

「幸せのハードル」
 
友人のお誕生日をお祝いできる心の余裕だったり
誰かの仕事の成功を喜べる気持ちだったり
若い人を応援できる心だったり
おばあちゃんに会いに行こうと思う気持ちだったり
天気が良いと嬉しくて
雨でも農家の人や植物が喜ぶだろうなと思ったり
ひょんな出会いでつながった人が「また会いたい」って
連絡くれることに幸せって思えたり
自分と関わる人たちのハッピーな笑顔がみれたり
 
幸せって お金や肩書やどれだけ物を所有するかじゃなくて
「誰かの幸せを自分事のように感じられる精神状態」
だったり
「ああ、私はいつも満たされている、すでに愛されてる」
って思える心の状態のような気がする。
 
そういう意味で私の心は 今 幸せなのだと思う
 
癌が発覚して、術前後、どうなるかわからない8年前の今頃は
そんなことを考える余裕もなくて
誰かをうらやましい、変わってほしいと思っても
仕方ないし受け入れるしかないって思いながら
顔で平気なふりして心で泣いて
淡々と過ごしていたあの頃に比べたら
今はどんな悩みも乗り越えられるって感じられる。
 
「生きてる」のではなく「生かされている」という感覚が
頭ではなく30代で腑に落ちたことは 
もしかしたら人生で一番の財産かもしれない。
 
それは病気や事故、大切な人の死、借金、単発で見ると
悲劇かもしれないけど
長い人生のシナリオの中ではいつか笑い話になる喜劇かも
しれない。チャンスっていつもピンチの顔をしてしれっと
やってくるから。
 
今 なかなか生きてる意味が感じられなかったり
生きていていいのかなって思う人がもしいたら
「ないに目を向けるんじゃなくて あるに目を向けたらいい」
って思う
 
手足が動く。息が吸える
ふかふかのベットで眠れる。
水道からきれいな水が出る
友達がいる
字が書ける
日本に住んでいる
 
夢がないなら誰かの夢を応援したらいい。
自分に自信がなく 自分が嫌いって思う時は
誰も見てないところでいいことをしたらいい。
 
ゴミを拾ったり コンビニで寄付したり
ご老人に席を譲ったり 雨が降ったら傘を貸してあげたり
どんな自分も「何時も自分が応援団長」
意地悪な自分も心が汚い自分も ずるい自分も
どんなに嫌いでもそれでも自分だけは自分をあきらめない。
 
私は 自己嫌悪で自分が嫌いになりそうなときは
必ず 自分は自分をあきらめない、と言い聞かせてる。
人と比べてもいいことはないけど数年前の自分と比べたら
今、心はとても健康だから。
 
そういう意味で 朝から友達の誕生日をお祝いできたり
友人の仕事がうまくいったとメールが来たりおいしいランチが食べられたりとってもハッピーだ。