徒然なるままに 

日常に感じたことを徒然なるままに書いてます

気が付いているかな?

 

「すごいですね」「羨ましいです」という言葉を交わすことがある。

「あの人はすごい」「私と違ってうらやましい」

 

貴方はその人の何を知ってそんな軽々しく発言できるのかな?

 その人の過去やすべての経験や苦悩すべてひっくるめてそうなりたい、

すごいというのかな?もしかして表面の光の部分だけみて羨ましいのなら

あまりにも薄っぺらい称賛にならないかな?

そして 案外そんな言葉が何気にその人を傷つけていること 知っているかな?

 

それは(あなたと私は違う世界の人です)と感じる事だから。

 

(ああ、これ以上自分と深く友達になることはないんだ)という無意識のメッセージだということ。

 

先日 何度も「私に比べてあなたは〇〇だから羨ましい」といわれた。

それが嬉しいわけでもなく とても悲しかった。

そんなことないですよ、あなたはあなたのままで〇ですよといくら伝えても その人の心には響かない。受け取らないのだ。

なんだか とても傷ついて 後から涙があふれてしかたなかった。

 

無人島に行けばみんなただの人。肩書や地位や名誉なんて関係ない。

最初からそんなところで勝負してない。

 

以前「あなたの苦悩や差別や国籍の壁はわからないけど

わかりたいという気持ちがあるのです」

といわれて嬉しかったことがある。

わからなくてもわかろうとする気持ち、寄り添う気持ちが人の心を癒すのだと

その人から教えてもらった。

今まで誰かにわかってもらおうとする気持ちは幼い頃とっくの昔に放棄した

自分がいたけど信じて心を開いてみようと思った。

半面、こうして何気なく 傷つくことがある。怒りより深い悲しみ。

もちろん その人に悪気がないように きっと私も誰かをどこかで傷つけている。

 

以前 大企業の社長が 沢山の名刺交換の人波が嵐のように過ぎ去った頃

ぽつりと一人でいる姿を見た時「ああ、きっと大きなものを背負うほど孤独なのだ」と感じたことがある。傍から見たら立派な会社の経営者さんや著名人でもみんな

光輝く人は 大きな孤独を抱えながら生きいる姿を知っている。

それを本人が孤独かどうか苦悩かどうか感じるかどうかは別として・・・

その人の何気ない言葉の中に在る重みや深みを感じられるようになることが

人間力なんじゃないかな?

 

それは年齢とか肩書とか関係なく 感受性のセンスの問題。

それがわかる人には ふと心を開いて自分の気持ちを伝えてみようと思う。