徒然なるままに 

日常に感じたことを徒然なるままに書いてます

カオスの波にのまれながら

 

 

 

混沌とした時代に生きる私たちは

世間の常識やマネーゲームの世の中に終止符をうつ。

 

頭ではわかっているけど 腑に落ちてない。

それは心がもうとっくにわかっている。

 

「わかったつもり」「わかった」では全く違う。

 

そう「包帯を巻いてやれないならその傷には触れてはいけない」のだ。

 

優しさとは想像力。それは相手を思いやる、寄り添う気持ち。

たとえ経験してないことでも 寄り添いたいと思う気持は

必ず相手に伝わるから。人はそれだけで絶望的な状況でも

心が救われる。

 

時代が追いつくのが早いのか遅いのか、

スピリチュアルという言葉が1人歩きして

それだけ聞くと胡散臭いけど 

人間は動物だから本来 感じる力を持っている。

「感じるを大切に」そんな時代に入ってきた。

 

考えるより感じる力が強い私は ずっと封印してきた

人と違う変な私を隠して生きてきたけど

こうして言葉にすることで浄化できて 救われる。

そして 全ての経験や痛みが 同じように悩む人たちの力になればいい。

 

 

余韻の残る人

 

先日 余韻の残る人に話を聴きに行った。

たくさんの財界人、政治か、経営者、などの集まる場所で

静かに佇むだけなのに話すと 強く印象に残る方だった。

とても気さくで 垣根がなくフラットな人。

育った環境を聴いてなるほどと納得がいった。

 

幼い頃から多様性を受け入れざる得ない環境だったり 本来その方が持つ

本質だったり 人を自然体で受けいれる雰囲気が安心させるのかもしれない。

 

世の中にすごい人はたくさんいるけど それは肩書や年収、社会的地位ですごいという

方が多い。もちろん 人間性も素晴らしい方も多いけど残念ながら話すと

自信のなさが見え隠れする方もいる。

 

ここ数年 いわゆる世間一般でいう素敵な人ではなく 王道から外れているけど

心豊かに自分らしく生きている方に出会うと宝くじに当たったくらい

嬉しい気分になる。

 

世代を超えて素敵な人たちとの心の交流は 自分の心の在り方や

日常を豊かにする。その方が教えてくれた

「人生に必要なものは好奇心と行動に移すちょっとした勇気」

それがあれば 学ぼうとするし理解しようとする。

相手に言葉で伝えられないのは 理解してないと同じだそう。

ゆっくりかみ砕いて 伝えながら理解してない部分を把握し またトライエラーを繰り返し 自分のものにする。そうすると実力が付いてくる。

 

「どうしてわかってもらえないんだろう」と嘆くより まずは

「自分の言葉で伝える」という小さな一歩を

踏み出してみる。それは果てしなく遠い道のりのように思えるけど 意識して

やっていくと筋トレと同じ。5年、10年後 大きな力になる。

焦る必要はないし やろうと思った時点で 一歩踏み出せばいい。

できなくても 自分を責める必要はなく、違ったならやめてまた軌道修正したらいい。

世の中に正解はない、そして人生にマニュアルはない。

無人島で生きる選択をしない限り 死ぬまで人と触れ合うこと、

会話をすることは続く。

 

情報が多すぎる世の中すべてを理解する必要はない。

近道や目に見える幸せを追い求め、人と比べて焦る必要はない。

「なんとなく好き」「なんとなくいってみたい」「なんとなく会ってみたい」

それを大事にすればいい。なんとなく必要な情報だけとれば 

きっといい方向に向かうものだから。

 

人生に失敗はない。失敗と感じることは次の成功への軌道修正。

失敗と嘆くより 踏み出した勇気をたたえてあげたらいい。

いつでも 私はたった一人の自分の応援団。

どんな自分にも〇をつけよう。それが根拠のない自信に

つながる道だから。

もしそれでも 自信が持てないなら言葉の力を借りよう。

 

「私はどんな環境でも幸せになる、もうすでになりつつある」とそっとつぶやこう。

 

きっと大丈夫。きっと明るい未来が待っている。

「心地よい人」

 

朝起きてすごいことに気が付いた。

 

最近 新しい出会いがドーンとまた増えてそれはそれで

ワクワクするのだけど たぶんそれなりに知らぬ間に気をつかっている自分がいる。

ここ数年、新しい出会いの中で一緒にいて心地よい人がいる。

その人(達)と一緒にいると 疲れない。自然体でいられる。

一緒に景色を見て綺麗だねっていえる感覚。寄り添える存在。

自分が頑張らなくていい存在。もやもやしない人。できないことをできないっていえる。お願いって頼める。頼まなくてもしてくれる。

何より 私からエネルギーを吸い取らない。

「求めない」

そう求めない人。ただ一緒に 同じ空気を吸って心地よいと思ってくれて

一緒に過ごして楽しくて・・何も与えなくても存在を認めてくれる人。

「一緒に過ごす事が目的ですよ」と思ってくれる人といるのは心地よい。

携帯の充電器みたいに ただいるだけでフル充電できる人。

明日からまた頑張ろうって思える人。

そういう人といると 自然に優しく素直になれる自分がいる。

 

最近知り合った人たちとも時を経て 心地よい関係になっていくのだろうな。

存在に気が付いてもらうこと

 

 

先日 20代の友人が半年の世界一周を終えて帰国しました。

一流企業を退職して 長年の夢だった世界一周へ。

 

帰国して真っ先に会いに来てくれました。

正直 最近 流行りですか?というくらい猫も杓子も自分探しの旅に出る人が多く

ヘキヘキしていたのですが 彼の場合は 「旅を通して本当に自分の使命」が

見つかったのがよくわかりました。瞳を見たらわかりますね。

 

名古屋にいた時も数回しかあったことがなく 壮行会に呼んでもらったのも

「私が行っていいのかな」と思いつつ せっかくなので本をプレゼントしました。

 

思えば 今から20数年前 学生時代の兄のように慕う友人が世界一周に行くとき

プレゼントしたのは一枚の世界地図でした。

「これで 行った場所に〇をしてね。空はつながっているからいつでも

私達を思い出してね」あの頃 ネットもなくて 世界旅行は命がけ。

 

いろんな国からはがきが届くたびに「あ、生きてるんだ」って安心した感覚は今も覚えています。あの頃世界に出た友人たちは 今も海外で活躍中、そして幅広い視野を持って日本でも活躍しています。私は世界一周はしてないけど あの時代に激動の韓国に留学できたこと、心から親に感謝です。

 

帰国して 伝えてくれたのはただあふれた家族や支えてくれた人への感謝の言葉でした。

数回しか会ってない私ですが 半年間で ことあるごとに連絡をくれたのが家族や彼女以外は 私だけだったそう。

 

「日本は雪が降ったよ。」「桜が咲いたよ」「○○にいくなら このお店に行ってね」なんて たわいのないメッセージをSNSで送っただけ。

世界に出ているのに邪魔をしてはいけないので 近況と共通の友人のトピック。

 

どうもそれがすごくうれしかったみたいで 真っ先にお礼を言われました。

 

多分 私にとっては当たり前なことも 遠く母国を離れた彼には嬉しい事だったようです。ではなぜ それをしたかというと 自分の経験から。

 

留学時代 ネットもテレビもなく異国の地で 日本の情報がほしくて

友人が遊びに来ると 雑誌や週刊誌を回し読んだりしていました。みんなからすると

当たり前の流行りの音楽や ファッション、歌手、カラオケの最新曲

帰国するたびに新鮮だったのを覚えているからです。

 

「その存在がある」「気にかける」ということがどれだけ励みになるか

どれだけ心強いのかを 久々 彼から教えてもらいました。

そしてそれを素直に少年のように伝えられる友人の心にまた感動を覚えた

素敵な時間でした。

幸せのハードル

「幸せのハードル」
 
友人のお誕生日をお祝いできる心の余裕だったり
誰かの仕事の成功を喜べる気持ちだったり
若い人を応援できる心だったり
おばあちゃんに会いに行こうと思う気持ちだったり
天気が良いと嬉しくて
雨でも農家の人や植物が喜ぶだろうなと思ったり
ひょんな出会いでつながった人が「また会いたい」って
連絡くれることに幸せって思えたり
自分と関わる人たちのハッピーな笑顔がみれたり
 
幸せって お金や肩書やどれだけ物を所有するかじゃなくて
「誰かの幸せを自分事のように感じられる精神状態」
だったり
「ああ、私はいつも満たされている、すでに愛されてる」
って思える心の状態のような気がする。
 
そういう意味で私の心は 今 幸せなのだと思う
 
癌が発覚して、術前後、どうなるかわからない8年前の今頃は
そんなことを考える余裕もなくて
誰かをうらやましい、変わってほしいと思っても
仕方ないし受け入れるしかないって思いながら
顔で平気なふりして心で泣いて
淡々と過ごしていたあの頃に比べたら
今はどんな悩みも乗り越えられるって感じられる。
 
「生きてる」のではなく「生かされている」という感覚が
頭ではなく30代で腑に落ちたことは 
もしかしたら人生で一番の財産かもしれない。
 
それは病気や事故、大切な人の死、借金、単発で見ると
悲劇かもしれないけど
長い人生のシナリオの中ではいつか笑い話になる喜劇かも
しれない。チャンスっていつもピンチの顔をしてしれっと
やってくるから。
 
今 なかなか生きてる意味が感じられなかったり
生きていていいのかなって思う人がもしいたら
「ないに目を向けるんじゃなくて あるに目を向けたらいい」
って思う
 
手足が動く。息が吸える
ふかふかのベットで眠れる。
水道からきれいな水が出る
友達がいる
字が書ける
日本に住んでいる
 
夢がないなら誰かの夢を応援したらいい。
自分に自信がなく 自分が嫌いって思う時は
誰も見てないところでいいことをしたらいい。
 
ゴミを拾ったり コンビニで寄付したり
ご老人に席を譲ったり 雨が降ったら傘を貸してあげたり
どんな自分も「何時も自分が応援団長」
意地悪な自分も心が汚い自分も ずるい自分も
どんなに嫌いでもそれでも自分だけは自分をあきらめない。
 
私は 自己嫌悪で自分が嫌いになりそうなときは
必ず 自分は自分をあきらめない、と言い聞かせてる。
人と比べてもいいことはないけど数年前の自分と比べたら
今、心はとても健康だから。
 
そういう意味で 朝から友達の誕生日をお祝いできたり
友人の仕事がうまくいったとメールが来たりおいしいランチが食べられたりとってもハッピーだ。

幸せの配達人

「幸せの配達人」

 

今日とてもうれしかったこと。

大好きな友人が作ったオリジナルCDを なかなか会えない

友達に近くお渡しするねと伝えたら 朝からハッピーな気分になりました。

貴女は幸せの配達人ですねといわれました。

私が何気にしたことは 彼女に優しさとして届きました。

それはきっと 彼女の受け取り方が素敵だったから。

私は・・辛い時、どん底の時、自分で這い上がる方法を知っているし

経験しています。その時沢山の人に支えてもらったので

会いに来てくれる人や困った人にはすべての経験が役に立つなら

恩返しのような気持ち。

 

今人生で辛い人には「世界は私に優しい」ってつぶやいてみてっていいます。

幸せになるのはすごく簡単。

手が動く、ご飯がおいしく食べられる、

温かい布団で朝までぐっすり眠れる、お茶をする友がいる

「当たり前の反対は感謝」

 

いまこの瞬間 幸せって感じられることが幸せ!

ざわざわ感

私が感じるこのざわざわ感ってなんだろう。

胸騒ぎでもないし 感覚なのだけど・・

 

その感覚 大事にしたい。

きっと 内側からのメッセージが役立つ日がくるから。

 

考えるより感じるを大切にしていこう。

心地よく感じるフィット感と ざわざわ感の違いを大事に大切に。

ざわざわ感がわかるから コンフォートゾーンであるフィット感もわかるのかな?

 

好き、心地いいを大事にしていきたい。